孫は殺せない

0022
父親は、頭ごなしにどなりつけた。「そんな子ども、けがらわしい。すぐ堕(おろ) してしまえ」
娘さんは、じっとうつむいたままだ。お腹の子をかばうように、両手でスカートを押さえている。

娘さんは、この近くのOLである。恋人との間にできたらしい子どもの相談で私のところへ来ているうち、きびしい父親に感づかれ、きょうは父娘そろって訪れたというわけだ。
「どうしても中絶を、ということなら、専門の医師を紹介してもいいですけどね」。私は気乗りせぬ声で、頑固そうな父親に言った。
「相手の男性も独身でしょ。いっそこのままで結婚させたらどうです。第一、はじめての子どもを中絶するのは、絶対に体によくないですよ」
たしかに、最初に妊娠した子どもを中絶すると、そのあと不妊症になりやすい。私のところの患者の二割近くは、そういったケースによるといえそうだ。
なんといっても、はじめは子宮がひ弱だ。抵抗力が乏しい。そんな子宮に機械的操作を加えると、傷をつけたり、炎症を起こすなどの障害を招きやすい。
膣内には雑菌が多いから感染する場合もあるし、影響で卵管がつまることも珍しくない。
これが、一人でも子どもを産んだあとなら、子宮はかなりたくましくなるものだ。子どもが胎内で十分に育つと、子宮は平常の四百倍にもふくれ上がる。
それが分娩後は一挙に収縮するから、子宮内の壁は密度がうんと濃くなり、以前と比較にならぬほど丈夫になるのだ。
少々機械が侵入したぐらいで病気になることは、まずあるまい。
「いずれにしてもですな、初回の中絶というのは危険をともなうもんです。できることなら、このまま産ませてあげたらどうです」
いらぬお節介だ、といった表情で、父親は私をにらみつけた。武骨そうな拳が、かすかに震えている・・・。
しかし、私はそれを無視することにした。逆に、最後の切り札をつきつけた。
「いいですか、いま娘さんのお腹にいる赤ん坊は、あなたのお孫さんなのですよ。それを堕(おろ) してしまえなんて言うのは、殺人命令じゃありませんか。
あなたは、むごい孫殺しをしろと言うんですか」
父親にしてみれば、どこの馬の骨かわからない娘の相手が憎いだろう。それは私にも十分に理解できる。
だけど、ここはやはり百歩譲って、娘の健康と、芽生えたばかりの生命に心を移すべきだろう。
案の定、父親は小さく頷いた。その老いたひとみに、うっすらと光るものがあった。

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